仏法東漸

初期仏教から部派分裂

 釈迦が生存中から没後100年位までの仏教を原始(初期)仏教といい、この時期は釈迦の教えも正確に伝えられていたと考えられています。
 釈迦没後、その教えは口伝によるものであった為、後世に正確に伝えられるように弟子迦葉によって第一結集(会議)が開かれました。
 釈迦の説法を直接聞いた約500名の弟子達により、教義の確認と戒律の在り方について論議されましたが、戒律などの解釈で対立してしまいます。
 そして、100年後の第二結集では、上座部(保守系)と大衆部(革新系)に分裂し、500年後には大衆部から大乗を掲げる集団が登場し、部派仏教へと分裂して行きます。

龍樹の登場

 南インドに生まれ、バラモンを修学後に上座部仏教と初期大乗を学び、初期般若経の空を以って釈迦の縁起を解説し大乗を確立しました。
 そして、大乗の体系化を進め、後の大乗仏教全般に決定的な影響を与えます。
 天台・真言宗では「八宗の祖」といわれ、「浄土真宗七高僧」の諸祖。密教系では龍猛菩薩として仰がれています。

仏教の伝播

 紀元前後に仏教は大乗・小乗並立して、インドの北方から陸伝いに中国へ伝播し「北伝仏教」と呼ばれています。
 一方のスリランカや東南アジア方面へ伝わった上座部(小乗)仏教は「南伝仏教」と呼ばれます。

中国への伝来

 竜樹によって体系化され発展を遂げた大乗仏教は、鳩摩羅什らによって訳経され中国に広められました。
 5世紀には華厳経・法華経・涅槃経などが伝来し、更に曇鸞によって浄土教が開かれ、中国は開祖仏教の時代を迎えます。
 更に6世紀に入ると、達磨の禅宗、智_の天台宗、吉蔵の三論宗、杜順の華厳宗、道綽の浄土教などの宗派が生まれました。
 そして、高僧玄奘三蔵が国禁を破って天竺への仏典請来への旅に出る7世紀には、善導が浄土教を大成し、禅宗第6祖慧能が禅宗の主流を固め、善無畏・金剛智によって密教が伝えられました。

日本への伝来

 仏教の日本への公的な伝来は538年、百済の聖明王が釈迦金銅像と経典その他を朝廷に献上した時とされています。
 飛鳥を中心として、排仏派の物部氏の滅亡を機に、仏教推進派の蘇我氏と渡来人系の氏族の擁護により定着しました。
 その後仏教は、推古天皇とその摂政の聖徳太子の時代に、飛鳥と斑鳩を中心として飛躍的に興隆します。
 太子は最初の遣隋使に小野妹子を派遣し、仏教をはじめとする大陸文化を積極的に請来し、四天王寺・飛鳥寺・中宮寺・法隆寺を次々に建立し、仏教を政治的に実践しました。

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