釈迦牟尼佛

誕生

 釈迦は、現在のネパールのカピラヴァストゥに釈迦族の浄飯王と摩耶夫人の間に太子として生まれ、ゴータマシッダールタと命名されました。
 釈迦は、摩耶が出産の為実家へ里帰りする途中、ルンビニーの花園で休憩の折りに夫人の右脇下より生れ、誕生直後に七歩歩いて右手で天を指し、左手で地を指し、『天上天下唯我独尊【誕生仏】』と降誕宣言をしたと伝えられています。
 そして、梵天・帝釈天の二大護法神が左右に侍立し、竜王によって浄水が注がれ灌頂されました。
 日本仏教界では、この日4月8日を釈迦の生誕日と定め、『花まつり』として甘茶を誕生仏に注ぎ、生誕を祝う行事【灌仏会】としています。

出家

 太子として順調に成長した釈迦は16歳で結婚し、一子、羅ご羅をもうけました。しかし、太子として頭脳明晰で哲学にも秀で、何不自由無く過ごしていた釈迦は、精神的には満たされずに、次第に生・老・病・死という人生の基本的な「四苦」に直面・苦悩します。
 そして、29歳の時に出家を決意、妻子・王位を捨て沙門に入りました。   出家した釈迦は、二人の有名な仙人に就き禅定について学ぶが短期間でその境地に到達するも得られず、つづいて尼連禅河近くで過酷な断食の苦行に入ります。
 しかし極端な難行苦行で真理は得られず、何れにも偏らない中道こそが到達への道であると確信し、苦行を捨て先人が試みなかった新しい道へと踏み出しました。

降魔成道

 5年間の苦行を止めた釈迦は尼連禅河に沐浴し、村娘のスジャーターから乳粥の布施を受け、体力を回復し、ブッダガヤーに入ります。
 そして、菩提樹の元で坐禅を組み瞑想に耽り、悟りの妨害に現れた天魔を降伏させ、遂に真理に目覚めました(降魔成道)。12月8日、出家より6年目、35歳での「仏陀」への到達です。
 仏典では降魔成道以前の釈迦を「菩薩」、以降を「仏陀」といいます。

初転法輪

 「成道」を成し遂げた釈迦は、その真理の難解さに伝道も適わずとして、以降も入滅をも覚悟で座禅を続けました。
 しかし、梵天に伝道教化を懇願され【梵天勧請】、伝道を決意します。 鹿野苑にかつて共に修行した五人の比丘に最初の説法を行いました。これを「初転法輪」といい、『四諦八正道』即ち、四つ真理と八つの正道を実践的に説いたものです。
 次第に教団は弟子を増やして行き、マガタ国王からは竹林精舎の寄進を受け、迦葉・目連・舎利弗(十大弟子)など多くの弟子たちが帰依することとなります。
 更に教団には子息の羅ご羅やいとこの阿難なども加わり、教化活動の拠点となる舎衛城の祇園精舎の寄進を受け、さまざまな戒律が設けられ、大きな発展を遂げてゆきました。

涅槃

 釈迦が悟りを開いて45年80歳、マガタから弟子阿難を連れ故郷への帰路の途中、クシナーラ郊外にて病が悪化します。
 ここを入寂の地と定めた釈迦は、沙羅林の沙羅双樹の間に床をとらせ、北を枕に右脇を下にして横たわり、出家・在家の修行者や鳥獣・諸天諸神に囲まれ、紀元前486年(異説有)2月15日に静かに入滅【涅槃】しました。
 遺骸は火葬され、その遺骨(仏舎利)は釈迦に帰依していたマガタ国などの8大王国の王に分けられ、それぞれの国のストゥーパ(舎利搭)に納められました。

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